開基五〇〇年記念 早雲寺書影

開基五〇〇年記念 早雲寺

戦国大名北条氏の遺産と系譜

  • 神奈川県立歴史博物館 企画・編集
  • B5判・並製本・カラーカバー装 262頁(カラー136頁・うち折り込み4頁・モノクロ126頁)
  • 定価:本体2,600円(税別)
  • 品切(書店等には在庫がある場合があります)
  • 初版発行年月:2021年10月16日
  • ISBN:9784909782113

早雲寺の寺宝を中心に、同寺ゆかりの寺社や北条氏一族が今日まで大切に伝えてきた数々の宝物を一挙に公開する同名の特別展(神奈川県立歴史博物館、2021年10月16日~12月5日)の公式図録。
早雲寺の寺宝形成とその継承に携わった箱根神社や関東公方足利氏・北条氏一族ゆかりの豊富な文献・美術資料を紹介することで、文化史の立場から早雲寺をめぐる様々な政治権力との関わりの実相を明らかにする。

====各章の概要(章扉の文章より)====

■プロローグ 早雲寺の創建と至宝■
伊勢宗瑞(北条早雲)を祀り建立された大徳寺関東龍泉派の早雲寺は、今もなお戦国大名北条氏ゆかりの宝物を多く遺し、かつての偉容を偲ばせる。だが、こうした寺宝群の形成は一朝一夕でなるものではなく、様々な歴史的過程を経て、私たちの眼前にその姿をあらわす。まずは、早雲寺に祀られ、小田原北条氏初代である伊勢宗瑞の事蹟をたどりながら、寺宝たちの履歴に耳を傾け、その歴史を繙いていくこととしよう。
※出品資料 重要文化財 織物張文台及硯箱(早雲寺蔵)ほか18点

■1章 霊場としての箱根■
なぜ、早雲寺は箱根湯本の地に開かれたのか。中世以来箱根の「場」は、箱根三所権現を中心に鎌倉幕府や鎌倉府などの歴代武家権力によって信仰されてきた霊場であった。関東に覇を唱えた戦国大名北条氏も、東国武家権力の信仰に倣い箱根神社へ深く帰依していく。それと同時に、東国の在来権力ではなかった北条氏にとって、既存の宗教的・政治的秩序に入り込みながら権力基盤を確立することは重要課題でもあった。したがって早雲寺が、既存の東国霊場である箱根の「場」に開かれたのは必然だったのだろう。
※出品資料 重要文化財 箱根権現縁起(箱根神社蔵)ほか15点

■2章 関東足利氏の美術と絵師■
戦国時代、東国社会の伝統的権威として存在していた関東公方足利氏の周辺には、豊かな文化圏が作り上げられていた。それは、鎌倉から古河へ動座した後も活発であり、京都から招かれた関東画壇絵師たちの多くの資料からも裏付けられよう。関東へ進出を果たした北条氏も、軍事的基盤の伸長だけではなく、かかる足利氏の文化圏を吸収しかつ継承しながら寺宝の形成を果たしていく。政治史に加え、文化史の視座から戦国期東国史をとらえてみることで、美術品の作成・所持を通じた権力のあり様も垣間見えよう。
※出品資料 重要美術品 雪嶺斎図 僊可筆(五島美術館蔵)ほか24点

■3章 戦国大名北条氏と早雲寺住持■
開山以天宗清が招請されて以来、早雲寺には大室宗碩・明叟宗普・梅隠宗香など彼の法脈を継ぐ寺僧が大勢集い、寺院運営がされていく。教団も膨れ上がり、早雲寺の末寺や塔頭も箱根や小田原に幾つも建立され、早雲寺を拠点とする関東龍泉派は大きな成長を遂げる。北条氏も早雲寺の経営を支援するとともに、大徳寺住持への出世を果たす早雲寺住持たちを厚遇し、かつ彼らを通じて京都文化を摂取していくことも期待していたと考えられる。京都大徳寺と早雲寺を往来する彼ら歴代住持の存在が、北条氏の政治支配や小田原文化に果たした役割は大きい。
※出品資料 重要文化財 北条早雲像(早雲寺蔵)ほか31点

■4章 小田原の政治と文化■
本章では小田原文化を紹介していく。
文化とは権力そのものを表象する。二代当主北条氏綱によって定められた戦国大名北条氏の本拠地・小田原。そこには、京都から絵師や仏師・鍛冶師などの職能民が集い、京都の文化が移入されていった。当初、北条氏は関東公方足利氏の政治秩序を擬え、京都文化を纏いながら権威を確立していった。しかし、北条氏が既存の秩序を超え始めると、自身で文化規範を創出するようになる。文化の規範(コード)を模倣あるいは創出する営為から、どのような権力の姿が浮かび上がるのか。様々な資料から考えてみたい。
※出品資料 神奈川県指定重要文化財 北条氏綱像(早雲寺蔵)ほか24点

■5章 早雲寺の復興と宝物■
戦国大名北条氏の栄華とともにあった早雲寺は、豊臣秀吉による小田原攻めの結果、北条氏と命運をともにし焼亡する。しかしながら、中興の菊径宗存や琢玄宗璋・説叟宗演ら住持たち、北条氏の系譜をひく近世狭山藩北条氏や玉縄北条氏たちの助力によって、早雲寺は再建され、宝物が再び集うようになっていく。寺宝のなかでも、とくに北条五代歴代画像の作成経緯と伝来過程に着目することで、近世早雲寺の復興と北条氏末裔たちとの関わりをとらえていきたい。
※出品資料 菊径宗存像(早雲寺蔵)ほか23点

■6章 狭山藩北条氏の由緒と治世■
早雲寺の復興に、とりわけ大きな役割を果たしたのは狭山藩北条氏であった。なかでも五代藩主北条氏朝の貢献は多大であり、その援助は資金援助に加え宝物の寄附など多岐にわたる。ではなぜ、彼はここまでの援助を行ったのであろうか。その理由を探るため、狭山藩北条氏の成立とその歴史を辿ることからはじめたい。そして、「由緒の時代」とも評される近世社会において、氏朝や狭山藩による由緒作成の事業の必然性を考えあわせることで、早雲寺を復興する側の事情を見つめたい。
※出品資料 本小札紫糸素懸威腹巻(狭山北条家伝来)(小田原城天守閣蔵)ほか15点

■エピローグ まもり、つたえられる早雲寺の寺宝群■
私たちの眼前にひろがる様々なモノたち。その背後にある、時代を超えた人々による不断の努力を、われわれが意識することは極めて稀であろう。しかし、早雲寺の寺宝群も、戦乱や火災による亡失や散逸、そして流転を経ながらも伝世している。それは、早雲寺の歴代住持やその末寺・塔頭、北条氏の末裔たちによる、寺宝をまもり、伝えてきた努力の賜(たまもの)である。今ある寺宝がどのように継承されてきたのか。その歴史的営為の尊さについて、ぜひ一緒に考えていただきたい。
※出品資料 早雲寺記録 柏州記(早雲寺蔵)ほか16点

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