■「無視覚流」という生き方■
僕は2016年ごろから「無視覚流鑑賞」の実践に取り組むようになる。無視覚流とは、文字どおり「視覚を使わない」という意味である。目隠しをする、もしくは真っ暗な会場に入るなどの工夫の下で、触角を研ぎ澄ます環境を創るのが無視覚流の目的といえる。少なからぬ健常者は、あえて視覚を遮断しなければならないのはなぜなのかと、疑問を感じるだろう。昨今の博物館では、公開する情報の量を増やし、多彩なコンテンツの中から来館者が自由に選択できるシステム開発が主流となっている。もっとも容易に、しかも迅速に情報処理できる視覚をわざわざ塞がなければならない理由は何なのか。
ここで想起されるのが、連載第2回で取り上げた琵琶法師・瞽女(ごぜ)の歴史である。『平家物語』や瞽女唄は、画像はもちろん、文字も必要としない人々(目の見えぬ触常者)によって創造された。音と声のみで伝承される語り・唄を受容した聴衆は、目の見える触常者だった。21世紀の博物館で、琵琶法師や瞽女の芸能の根底に流れる精神、「目に見えない世界」に触れる機会を創出する。そのためのキーワードが無視覚流なのである。
■「無視覚流鑑賞の極意六箇条」■
2018年、僕は「無視覚流鑑賞の極意六箇条」を公表する。余談になるが、六原則・六箇条など、「六」にこだわるのは、六つの点の組み合わせで「世界」を表す点字の影響なのかもしれない。01年の民博着任以来、僕の中では琵琶法師・瞽女などの歴史研究と、ユニバーサル・ミュージアムをめざす博物館活動は、自身のアイデンティティ形成の両輪となってきた。無視覚流鑑賞を提唱することで、初めてこの二つのベクトルが重なった。以下の六箇条では、琵琶法師・瞽女は登場しない。しかし、これを書いた僕の体内では、琵琶法師・瞽女たちの触角が躍動していた。六箇条の発表以後、ようやく僕は胸を張って、「琵琶を持たない琵琶法師」という自称を使えるようになった(本物の琵琶法師には「まだまだだな」と叱咤されそうだが)。ここで六箇条を紹介しよう。
無視覚流鑑賞の極意六箇条
無視覚流とは「思い遣り」である。
創る人(制作者)・操る人(学芸員)・奏でる人(来館者)の思いは、目に見えない。
さまざまな思いが交流・融合し、「思い遣り」が生まれる。
視覚は量なり、されど大量の情報には、かならず死角がある。
視覚はスピードなり、されど迅速な伝達は上滑りで、記憶に残らない。
無視覚流は「より少なく、よりゆっくり」を原則とし、
作品の背後に広がる「目に見えない世界」にアプローチする。
さあ、視覚の便利さ(束縛)から離れて、自然体で作品と対峙しよう。
みんなの「思い遣り」は、視覚優位・視覚偏重の美術鑑賞のあり方を改変し、
新たな「動き」を巻き起こす。
2020年秋に開催予定だった民博の特別展・企画展でも、無視覚流鑑賞を積極的に導入することになっていた。特別展「ユニバーサル・ミュージアム-さわる!“触”の大博覧会」では、照明を落として会場を薄暗くし、来館者の触角を無理なく引き出す仕掛けをする(もちろん、導線の確保など、安全面に十分配慮するのは大前提である)。一方、企画展「見てわかること、さわってわかること-世界をつなぐユニバーサル・ミュージアム」の会場では、通常の照明の下で、さわる鑑賞と見る鑑賞を多角的に比較できる資料を集める。コロナ禍で両展示が延期になったのは残念だが、基本的に上記のコンセプトで21年秋にユニバーサル・ミュージアム展を実施するつもりである。
この10年余、全国各地で多種多様なさわる展示、ワークショップに関わってきた。その経験を通じて、見常者は意外に展示物にさわろうとしないことを知った。ここまで繰り返し述べてきたように、視覚は便利だが、「見るだけでわかった気になる」危うさも内包している。見常者が物に触れる場合、視覚で得た情報を触覚で確認する流れになる。「展示物の形、大きさが視覚的にわかったら、わざわざさわらなくてもいいだろう」「時間がないから次の展示物を見にいこう」。博物館の見学において、触覚情報は「おまけ」的に扱われてきた。無視覚流鑑賞では、あえて便利な視覚を使わずに、触角で物にじっくり向き合う。触角がとらえた情報は体から頭、心へと広がっていく。視覚を使えない不自由ではなく、視覚を使わない解放感を味わってもらうのが無視覚流鑑賞の本義である。
特別展の英文タイトルは「“UNIVERSAL MUSEUM”: Exploring the New Field of Tactile Sensation」とした。このタイトルには、日本発の新たな共生の概念として、「Universal Museum」を国際的に発信したいという僕の思いが込められている。僕が点字の触読ができた時のような驚き、「Tactile Sensation」をたくさんの来館者にも体験していただければと切望する。
企画展では、絵画・絵本などの展示を予定している。ここでは、「見てさわる」「見ないでさわる」「さわって見る」「さわらないで見る」など、来館者の好みによって、自由な鑑賞ができる。企画展の英文タイトルは「SIGHT AND TOUCH: the Universal Museum Creates a World without Borders」とした。
注目していただきたいのは「the Universal Museum」と「a World without Borders」という表現である。2009年、ユニバーサル・ミュージアム研究会の発足以来、学芸員・大学教員・アーティストなど、多くの仲間とともに「誰もが楽しめる博物館とは何か」を探究してきた。その成果発表の場が今回の特別展・企画展なので、「これがユニバーサル・ミュージアムである!」という現段階での報告はしたい。それゆえ、「Universal Museum」には定冠詞の「the」を付けた。現在の日本のユニバーサル・ミュージアム研究において、民博が最先端の具体例を示すのだという意気込みで「the」を使っている。
一方、客観的に考えると、ユニバーサル・ミュージアムとはめざすべき理想であり、完成形、ゴールはないともいえる。僕は「脱視覚」という観点でユニバーサル・ミュージアムを追求し、さわる展示を深化させてきた。しかし、それはユニバーサル・ミュージアムを具現する一つの試みでしかない。ユニバーサル・ミュージアムにアプローチする方法は他にもあるだろう。民博の取り組みに刺激されて、たとえば聴覚障害者発、肢体不自由者発のユニバーサル・ミュージアムが出てきてもいいのではないか。そんな思いで、「World without Borders」には不定冠詞の「a」を付けた。民博の特別展・企画展が、ユニバーサル・ミュージアムの多様性を開花させるきっかけになれば幸いである。
■「濃厚接触」の意義を再確認できる博物館■
僕のユニバーサル・ミュージアム研究は以下のような流れで発展してきた。「①視覚障害者が楽しめる→②視覚以外の感覚を活用する→③視覚偏重の現代社会のあり方を問い直す」。手前味噌になるが、③の大テーマに真正面から取り組む姿勢が評価されて、研究会は全国の見常者の同志を巻き込むことができたのだと思う。観光・まちづくりなど、他分野との連携も、昨今のユニバーサル・ミュージアム研究の裾野を広げる特徴となっている。ユニバーサル・ミュージアムの定義として、これまでに僕が用いてきたのは以下である。
1.が理念で、2.~4.がそれを実現するための手段ということができる。本連載コラムをお読みになった方は、1.~4.が密接不可分であることをご理解いただけただろう。2021年、民博のユニバーサル・ミュージアム展の来館者から寄せられる忌憚のない意見を通じて、各定義の有効性が実証されることを心待ちにしている。
さて、上記の四つに加え、2020年のコロナ禍により、もう一つの定義が生まれることになった。
新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために、濃厚接触を避ける。この社会的な制約(誓約)に対し、僕は反論できない。先が見えない社会状況の中で、全盲の僕に与えられた課題は、真の濃厚接触の大切さを訴え、それを実感できる展示を具体化することである。その意味で、ユニバーサル・ミュージアム展の延期を前向きにとらえたい。2021年の展覧会は、友人や恩師との交流、琵琶法師・瞽女の研究など、濃厚接触によって育まれてきた僕自身の人生の集大成になるに違いない。
■「誰もが働きやすい博物館」へ■
もともと、僕が2020年に展覧会を実施しようと決意したのは、オリパラの影響である(東京オリパラのお祭り騒ぎに便乗して、来館者を集めようという安易な動機があったのは間違いない)。オリパラ、とくにパラリンピックの開催で障害者に対する世間の関心が高まるのは嬉しい。しかし、そもそもパラリンピックとは、「できない」はずの人が、「できる」ようになることを「見る/見せる」祭典である。近代的な能力主義の価値観を突き詰めた先に、パラリンピックの舞台があるともいえる。
パラリンピックに出場する個々のアスリートの努力は称賛すべきだが、僕たちはそこでとどまるわけにはいかない。オリパラという一過性のブームが終わった後、各方面の障害者施策はどうなるのか。持続可能な文化政策を考えるきっかけになればという思いで、僕はユニバーサル・ミュージアム展の企画に取り組んでいる。
「ポスト・オリパラ」を意識して、僕はユニバーサル・ミュージアムの新定義を追加した。
連載第6回で詳述したように、障害者の就労問題は深刻かつ切実である。オリパラ効果もあり、日本の博物館でも、障害者を含む多様な人々をお客さんとして受け入れる動きは定着した。民博着任当時、僕が抱いた「日本全国、そして世界の博物館を訪ねてみたい」という単純かつ不純な願望は、かなりの程度達成されたと感じる。
それでは、実際に博物館で働く障害当事者はどれくらいいるのだろうか。正式な調査をしたわけではないが、おそらく日本のミュージアムに勤務する視覚障害者のスタッフは皆無である。世界的にみても、全盲の学芸員はきわめて珍しい。来館者サービスという段階を脱し、働く仲間として、どうやって、どこまで障害者を認めることができるのか。今、健常者の真剣さ、実行力が試されているともいえよう。いうまでもなく、健常者任せでは厳しい現実を打開できない。障害当事者は「自分たちだからこそできること」を探し出し、社会に発信しなければなるまい。
2016年の障害者差別解消法施行後、各方面で「合理的配慮」のあり方が模索されている。合理的配慮は、20世紀の障害者運動の国際的な潮流の中で構築された共生の概念である。しかし、事業への影響の程度、実現困難度、企業の財務状況などを勘案し、「過重な負担」と判断される場合は、合理的配慮の提供義務はない。つまり、「合理的」の範囲は限定されている。この概念の根底にあるのは、健常者中心の社会システムの中に、どうすれば障害者を適応させることができるのかという能力主義的な課題設定だろう。
そもそも、社会全般を支配する“理”とは、健常者が創出したものである。障害者がこの“理”に合わせることを一方的に強いられるのなら、差別解消は絵に描いた餅で終わってしまう。合理的配慮の追求は、ややもすると「合理的排除」を惹起しかねないのである。残念ながら、現状の合理的配慮のみでは、「障害/健常」の二項対立を超克することは難しい。
遠回りに思われるかもしれないが、僕は1.のユニバーサル・ミュージアムの理想に向かって、2.~5.の実践を積み重ねることで、6.の結果が得られると信じている。6.は、けっして荒唐無稽な夢物語ではない。「誰もが働きやすい」環境を整えるために、琵琶法師・瞽女の「生き方=行き方」は僕たちにとって大いに参考となるはずである。さあ、オリパラの先に向かって、みんなの触角を伸ばそう。きっと、そこには優しい人々が集う五月蠅い「濃厚接触」の場が待っている!
〔写真説明〕6月24日、民博の新しいシンボルとして、前庭にトーテムポールが設置された。全盲の僕が触察できるのは巨大なポールの下部のみだが、「目に見えない部分」を自由に思い描く想像力・創造力が肝要である。「目の見えない者は、目に見えない物の価値を知っている」。新設されたトーテムポールの木の香に包まれ、僕は現代人が「世界の感触」を取り戻すために、2021特別展を行うのだという決意を強くした。
■おわりに■
全8回の連載コラムをお読みいただいたみなさんに、まずはお礼を申し上げる。4月に緊急事態宣言が出され、数年がかりで準備してきた特別展・企画展の1年延期が決まった。在宅勤務が続く日々の中で、僕は喪失感を味わっていた。「今ごろは秋の展示の実現に向けて突っ走っているはずなのに」。展示の協力者、出展アーティストに延期の連絡をした後、楽天家の僕もさすがに少々落ち込んだ。
しかし、せっかく与えられた1年の猶予期間を無駄に過ごすわけにはいかない。今、できること、やるべきことは何なのか。それは、自分のこれまでの活動を客観的に振り返り、「ユニバーサル・ミュージアム」の概念を整理して文章化することだろう。僕は本を作る、論文を発表するなど、具体的な目標は定めぬまま、とりあえず自分の考えを文字にしていった。結果的に、僕は書く行為、手を駆使する身体運動によって、コロナショックから立ち直ることができた。
書き溜めた原稿は、5月の連休明けにはそれなりの分量になった。「多くの方に気軽に読んでもらえる書籍になれば」という思いで、小さ子社の原宏一さんに相談を持ち掛けた。小さ子社に特別展の図録の編集・発行をお願いしている経緯もあり、原さんはすぐに拙稿を読んでくださった。「ピンチはチャンスなり。来年秋の展示オープンまで、どんどん攻めていこう」。さわらない・さわらせない社会状況だからこそ、“触”の大切さを訴えていくべきだという点で、二人の意見は一致した。
ウェブ連載という発信方法は、原さんの提案である。僕にとっては初めての試みだった。原さんが拙稿に目を通し、ウェブで読みやすい分量にまとめ、見出しを付ける。毎週送られてくる原稿に僕が加筆・修正する。こんなやり取りが2か月間繰り返された。著者と編集者の共同作業でコラムを更新していくプロセスは、新鮮で楽しいものだった。連載コラムはコロナ禍の副産物、在宅勤務の大きな成果といえよう。
連載を始めるに当たって、どれくらいの読者を獲得できるのか、僕は不安を感じていた。友人・知人に案内メールを送り、URLを告知したところ、予想をはるかに上回る反響があった。「これはいけるぞ!」という手応えを得た僕は、毎週のコラムの充実に注力した。5月以降、コラムの記事をアップすることが僕の最優先の仕事となっている。ウェブ連載の場を提供してくれた原さんにあらためて感謝したい。
5月後半から、連載コラムを読んだ方からさまざまな問い合わせをいただくようになった。6月には新聞各紙からのインタビュー取材が相次いだ。自慢話になり恐縮だが、わずか1か月足らずの間に、僕に関連する記事がいわゆる五大紙(全国紙)すべてに掲載された。僕の活動がこれほどの注目を集めることはなかったし、おそらく今後もないだろう。僕は自分の記事が載った新聞を手に取り、「これもコロナ効果か」と苦笑している。
当初、原さんに渡した拙稿のタイトルは、「それでも僕は『濃厚接触』を続ける!」となっていた。連載を開始する際、タイトルについて議論し、「僕」を「僕たち」に変えることにした。「濃厚接触」を他人事ではなく、自分たちの問題として考えてほしいというのが、タイトル変更の狙いである。連載コラムの回を重ねる度に、「僕たち」の仲間が広がり、“触”の可能性に気づく、“触”の多様性を築く緩やかな流れができてきたような気がしている。この流れを来年の特別展につなげていきたい。
7月に入り、民博は団体の受け入れを再開し、展示場における来館者対応の制約を少しずつ緩和する方向で動き始めている。7月9日には、「世界をさわる」展示コーナーの立ち入り禁止も解除される。手指の消毒を徹底した上で、展示資料に優しく丁寧にさわる。消毒は、「さわるマナー」の普及と定着にとってプラスに作用する。消毒で他人を思い遣る精神は、物の背後にいる者(創る人、使う人、伝える人)に接する作法と技法を育てる。コロナ禍を経験した人類が“触”の意義を再確認する場として、来年の特別展は日本社会にとって、きわめて重要なものになるに違いない。
本文で述べたように、2020年のユニバーサル・ミュージアム展は特別展・企画展の同時開催という形式で計画されていた。だが、会期の延期に伴い、企画展の実施を取りやめ、特別展に一本化することとなった。展示の規模が縮小されるのは確かだが、会場が一つになるメリットも大きい。企画展の趣旨を含み込む方針で、特別展会場のレイアウトを再検討しているところである。もちろん、展示全体のコンセプトは変更せず、出展作品数を減らすこともない。僕は特別展への一本化を「縮大」と称している。スペースは縮小するが、展示から得られるインパクトは増大させる。そんな「縮大」プランに本格的に取り組むための第一歩が、本連載コラムなのである。
僕にとって毎週の楽しみだった連載コラムが終了するのは少しさびしい。とはいえ、夏以降は新たなステップを踏み出さなければならない。8回のコラムを通じて、「濃厚接触」に関する僕なりの説明はできたと思う。いよいよ次は、「濃厚接触」の実践の機会を創出するのが僕、いや僕たちの課題である。2021年9月に開幕する民博の特別展「ユニバーサル・ミュージアム-さわる!“触”の大博覧会」へのご支援をお願いしたい。連載コラムを読んでくださったみなさんの手で、「誰もが楽しめる特別展」を盛り上げてもらえたら嬉しい。
最後に、もう一度、声を大にして言おう。それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!